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あな恐ろしきは人の世 [戒め]

厩戸皇子.jpg

             <法隆寺にて「厩戸皇子」を写す>


 五つ前の ”『自信』の本当の意味について” というタイトルの記事の中で、映画『日本の黒い夏【冤 enzai 罪】という映画を取り上げた。その後わたしは取材旅行で九日間ばかり家を空けその間記事の更新はしなかった。

 
 人は幾らでも無責任になれる

 人は幾らでも残酷になれる

 そして他人に知られなければ

 いつまでも自分の過ちを顧みようとはしない

 愚かで醜い動物だと思う

     By H☆imagine U3


 以前に取り上げた『日本の黒い夏【冤 enzai 罪】に導かれた訳でもないのだろうが、取材中の奈良市内の古書店で講談社文庫発行の『松本サリン事件の罪と罰』という文庫本を手に取ってしまった。本当は古代に関わる書籍を買い求めていたのだが、たまたまそれが眼に入ってしまったのだ。
 わたしは取材に伴う行動で、連日夏日の雲一つない晴天の下を最低でも一日18,000歩、多い時で26,000歩を優に超える日々を過ごしていたのだが、夕方6時から7時過ぎに掛けては毎日奈良町のいろいろな古書店に立ち寄り資料集めをしていた。

 その中で七日目に手にしたのがこの本であった。本当は古事記と日本書紀と万葉集にまつわる古書を探していたのだが、その書店ではなかなかそれが見つからず、書棚をずっと辿っていった先に、警察とマスコミによって犯人に仕立て上げられた河野義行氏と、人権ジャーナリスト(と書くと当人には叱られるかも知れないが)浅野健一氏共著のこのタイトルを見つけたのだった。

 人は如何に犯人に仕立て上げられていくのか、冤罪が作られていく過程が語られた河野氏自らが記した詳細なその内容に強い戦慄を覚えた。

「これは正に人ごとではない」

 そう感じたのだった。

 思えば幼い頃は言うに及ばず、働き盛りの頃でさえ理不尽な誤解や批判を受けたことは一度や二度ではない。ソネブロの中でさえあることを切っ掛けに誤解を受け、その後次々と身に覚えのない批判を受け、それに同調する批判や誹謗中傷が相次いだ経験を持つわたしは、人の本性は悪意に満ちていると確信した程だ。同情や賛意を装った悪意さえこの世には存在する。それを思うと人間の心の奥底は実に醜悪である。

 もちろん河野義行氏やその家族が味わった辛酸の足許にも及ばない微々たる経験ではあるがそれが今のわたしを形作っている一つの要因になっているのは間違いないだろう。

 強靱な精神を持ち合わせているのならそれに立ち向かうことも出来るだろう。しかしそんな人は稀にしかいない。大概の人はそれに右往左往しただ慌てふためき嵐が去って行くのを待つばかりだろう。しかしその嵐の代償は余りにも大きい。しかも当人の責でないこの代償は無責任な悪意を持つ赤の他人の為せる業だ。しかも個人を特定されないからいつまでも白を切り他人事の様に振る舞うことも出来る。甚だ理不尽といって良い。甚だアンフェアだ。その結果、被害に遭った人達は時に試練に耐えきれなくてそれに負けてしまったり、時にそれを苦に命を絶ってしまうことさえある。そしてそれは絶対にあってはならないことだ。

 一口に批判というが、その過半は理不尽な世の中の反応であり、正当な考えや自分で真偽を調べた上で為されたものではない。その場の雰囲気や、不確かな情報に基づいて付和雷同で周りに流された上での批判である。これでは正当な批判とは云えない。特に匿名性の高い現代社会では、世の中から、いとも容易くスケープゴートを見つけ出し攻撃するのが当たり前になっている。

 その悪意に晒された者は堪ったものではない。無実であろうとそうでなかろうと、人には人権があるのだ。ましてやマスコミによって容疑者に仕立てられ、無実の罪を着せられた者の苦しみは如何ほどだろう。悪意に耐えきれなくなって死を選んでしまった者の悔しさと悲しみは如何ほどだろう。

 今の日本の報道やマスコミほど軽薄で無責任なものは存在しない。先進国ではマスコミは絶対に「犯人捜し」などしない。現実の事件は「サスペンス劇場」ではないのだ。そしてその報道の体質は我々が作りだしていることを忘れてはならない。

 安易に人を批判する者の心理は、小学生や中学生等が同級生を苛めるその心理と何ひとつ変わりがない人間の悪しき感情である。差別とか無視とか、イジメとか誹謗中傷はみな同根の悪しき感情に根ざしている。

 そして何かあると、良く事情も知らないのに眉を顰める人達の心理にもその根底に共通した無意識の悪意が潜んでいることをわたしは知っている。TVなどで専門家でもないただの有名人であるとかタレントがコメンテーターやゲストという肩書きで、様々な事件を見聞きし、自分の眼前で、さもいけない行為を見てしまったかの如く眉を顰める仕草を見て、この人達はどれ程その事情と真実を知っているのだろうかと思うと、不快な思いでわたしの心は満たされてしまう。一見良識ある人という印象の中に潜んでいる軽薄さと無意識の悪意をそこに見出すのはたぶんわたしばかりではない。

 安直で無責任な正義感とか良識は百害あって一利なし。お上とか官憲とかマスコミからの情報を鵜呑みにし、自分でものを考える習慣のない人達に往々にしてあり勝ちな心理状態といって良いが、それが今や社会現象にまでなっているとしたら空恐ろしいことである。

 まだ容疑者の段階で逮捕もされていない、ましてや裁判で判決も受けていない段階で、当人が分かる形で、マスコミや警察から個人情報が拡散される、このまともでない状況を現代人の殆どは容認している。これは果たして正義だろうか。

 悪いことをしたら裁かれるのは当然だという人もいるだろう。しかしそれは裁判で有罪判決が出た後、法に則って施行されるものだ。容疑者の段階でその人に罪があるのかないのか分かる筈もない。それでもマスコミは逮捕もされていない仮想容疑者を真犯人に仕立て上げ世間の耳目を集めようと躍起だ。

 これは松本サリン事件の河野氏だけの話ではないし、刑事事件だけの話でもない。政治家や芸能人でさえ行き過ぎた報道に晒されている。罪を憎むのは分からないではないが、事件や渦中の問題と何ら関係のないプライベートな事柄まで公衆に晒すその行為は、まともな神経の持ち主なら吐き気を催すほどの代物である。そもそも芸能人の不倫など公にすべきことなのか。そんなことに口を挟み寄って集って糾弾するその神経と、それをまた面白おかしく若しくは真剣な眼差しで見ている者は一度その時の顔を鏡に映して見てみるがいい。おそらくあの女子レスリングの某コーチを擁護した何処ぞの女学長の顔と大差あるまい。

 しかしそれを大衆は望んでいる。犯人捜しやゴシップ情報を大衆が望んでいるからこそマスコミは受け狙いで更に報道内容をエスカレートさせているのが現状なのだ。だがよく考えて欲しい。そうしたマスコミが作りだした虚構を鵜呑みにし個人を糾弾することは私刑(リンチ)以外の何ものでもない。そして私刑は日本の法律では認められていない。

 松本サリン事件後も後を絶たない冤罪報道や行き過ぎた報道合戦に振り回される人々を見遣れば、人はかくも愚かな生き物であるということを自覚すべきであろう。

 マスコミを最近は「マスゴミ」と言い換える人もいるようだが、その「マスゴミ」を作りだしているのは正に「あなた」だ。こうした世情を作りだしているのは、一見何の罪もないと思える大衆や市井の人々であることを忘れてはならない。そうなる恐れを自覚できなれば我々はいつしか「マスゴミ」ならぬ「ヒトゴミ」に成り下がるしかないだろう。そしていつの日か、侮蔑するその「マスゴミ」と、自分以外の「ヒトゴミ」の餌食にされるであろう。

 この様な現象はマスコミの犯罪報道や芸能ニュースだけに当て嵌まるものではない。いまや政治もポピュリズムが横行する時代だ。マスコミ指導の世論調査やそれに基づいて政策決定が為される今の世の中ほど恐ろしいものはない。

 何故ならば、

 人々の心ほどあやふやで、

 移ろいやすく、

 当てにならないものは、

 この世に存在しないからである。

        By H☆imagine U3

 今回の戒めの言葉は『自分を保て。周りに流されるな。そして、何が真実か見極めよ』である。

 以上。


 < オマケ〜小さな自分を感じる時② >

 奈良で大きな三笠山を買った。
 人には自戒せよと宣うわたしがである。
 欲望に打ち勝つ自分を目指しながら、甘いものには眼がない。
 先日の羽二重団子だって同じ事だ。
 病気なのに病気を助長することを平気で為す己が情けない。


奈良三笠.jpg

 

 

 

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U3

☆★☆皆さまへVol.1☆★☆
 奈良で買い求めた古書の重さは優に10kgを超え、大きさもまちまちであった。天理市のアーケド街でたまたま見つけた袋物屋さんで、黒いナイロン製の少しばかり丈夫そうなかなり大きな折りたたみバッグを見つけた時にはこれ幸いと迷わず購入してしまった。これに買い求めた書籍と資料と、着替えの衣服や何やらを詰め込んで帰途に就いた。行きは少し大きめの4リットル容量のウエストバッグと、25リットル入るワンショルダーのバッグを担いで行ったのだが、帰りはそれに古書を詰め込んだ新たなバッグが加わった。連日の強行軍で疲れた身体に鞭打ってようやく奈良から家に戻ったわたしに休憩の時は今のところない。執筆活動は待ったなしだ。
by U3 (2018-04-06 09:28) 

枝動

こんにちは。お疲れ様です。休み無しですか、ご自愛の程を。
少し長文になり、記事とは的外れなコメントになるかも知れませんが、ご容赦を。

 私は、長きにわたる自身の裁判を通して、還暦前にしてある疑問が生じ答えを見つけられずに、「人」を語るに苦しんでいます。いえ、正確にはもう答えは見つけているのですが、私もその「人」である故に苦しいのです。其の疑問は、
「人は人を裁けないんじゃないのか」と云うことです。生涯初で最後であろう被告とされ、1審で0:100で負けました。そして、独りで闘った2審で勝ちました。巨細な所までは書きませんが、これが事実です。
 人によって、0か100になるなんて。そんな「人」に裁かれる危うさと云うか空しさを感じてしまいます。人によって、「人は人を裁いてはいけない」んじゃないかと云う答えを見つけてしまいます。
 幼少より母に躾けられたことで、「正義とは嘘をつかないことである」が私の信条です。其れを貫くと他方の正義と衝突するのが事実です。文末の『自分を保て。周りに流されるな。そして、何が真実か見極めよ』と関連すると思うのですが、其れを貫くと「人」との壁にぶつかります。其れを繰り返してきた人生です。とても厄介です。
 私の自信は私の信条からくるものです。ただ今回はっとさせられた、『正に「あなた」だ。』の文言に謙虚さを思い出した次第です。思い出すだけではなく、其れを常に持たねばと。
by 枝動 (2018-04-06 17:30) 

U3

☆枝動さんへ
 和歌山市では無理を言ってあちらこちらを案内して頂きありがとうございました。お互い久し振りに会ってみると話すことは余りなくて、近況すら話さなかったのは男同士ということもあるのだろうと思います。
 片男波海岸のテトラポッドは海水浴場という理由であるにせよとても残念でした。和歌山城のあの石垣は見事でしたね。そしていろいろ発見もしましたね。紀三井寺も印象に残りました。特にあの石段が(笑)西国三十三ヵ所第二番札所で御朱印帳はないので頂いておりませんが、これで西国札所は六つ目となりました。
 奇しくも(ご存じの通り)わたしも裁判を原告として二度経験していますが、人が人を裁くことの難しさをわたしもわたしなりに経験しました。ですから現行の裁判員制度にわたしは反対しています。どんな被告であろうと人を罪人にすることの後味の悪さは経験したものでなければけして分かり得ない事だと思います。他人の一生を被害者であれ被告人であれ左右する立場にあるというのは、自問自答してどうしても納得が出来ないのです。わたしは裁判官にけしてなれない人間だと思います。そして裁判員になる資格もない人間です。枝動さんとはたぶん考えが異なるのかも知れません。それだけでなく枝動さんが見つけたという「人が人を裁くこと」の結論は未だ見出していません。
 物事を殊更複雑にする事もありませんが、必要以上に単純化することの危険性も認識しています。しかしながら物事に白黒つけるのは大切なことであると思います。何故なら絶対的結論がなければ人は何を信じて生きていけば良いのか分からなくなると思うからです。
 ご存じのように、わたしは絶対的結論は必要であるという考えを持ち、見方によって物事の結論が変わるなどという相対的な考えに与しませんが、それで救われない事が多々あることも同時に承知しています。ですから結論を得ても尚、救済できない問題をどう拾って行くかというのも大事なことなのだと最近になって思えるようになりました。
「人は神でも仏でもない」今はそういう心境です。
by U3 (2018-04-06 20:10) 

U3

☆★☆皆さまへVol.2☆★☆
冒頭の厩戸皇子とは聖徳太子の幼少時の尊名ですが、この像が法隆寺のどこにあるのか知る人は案外少ないのでは。わたしは法隆寺をこれまで七度ほど訪れていますが、この像があることすら知らずその前を素通りする人は10人中9人に上るというのがわたしの印象です。
 さて皆さんも、もし法隆寺を訪れることがありましたらこの厩戸皇子像がどこにあるのか一度探してみて下さい。一度見たら魅入られてしまう不思議な像です。
by U3 (2018-04-06 21:01) 

旅爺さん

石仏は体が癒えても目は生きてますね、あな恐ろしや~!”(>_<)
by 旅爺さん (2018-04-07 11:29) 

U3

☆旅爺さんへ
あの〜,たぶん石仏ではなく乾漆像か漆喰をベースにした像です。
眼にはガラス玉が嵌め込まれており、隣には馬の像もあります。かなりリアルでまるで魂が入っているのではないかと錯覚するほどで、見るものを引きつけます。
by U3 (2018-04-07 13:15) 

ファルコ84

情報が溢れる世の中
どれが真実でどれが嘘なのかを見極める目が必要ですね
そして、自分の頭でしっかり考え行動する
後悔しないためにも!
by ファルコ84 (2018-04-07 14:08) 

U3

☆ファルコ84さんへ
「後悔しないためにも!」・・・仰る通りです。
 そうでないと、いつ自分が被害者になるか分かりませんし、もしかしたら加害者になることだってあり得ない訳じゃありませんからね。
by U3 (2018-04-07 18:54) 

ハマコウ

自分を除いた上での批判が多いですね。
大先輩から、「批評家になるな」といつも言われていましたが、現代は批評家にならずにはいられない時代なのかもしれません。
自分を戒めています。
by ハマコウ (2018-04-07 21:02) 

U3

☆ハマコウさんへ
 実社会で自分をアピール出来ないから、せめてネット社会では自己主張したいのでしょうね。ネトウヨも似たようなものです。
「批評家になるな」か、良い先達をお持ちで幸いでしたね。
by U3 (2018-04-07 21:51) 

U3

☆★☆皆さまへVol.3☆★☆
 むかしサラリーマンだった頃、下戸ですが後輩や同輩とよく酒の席に同伴しました。金蔓だと思われていたのでしょうね。しかし酒席で仕事上の不満をグダグダ話されるのに閉口して、「お前ら、日中仕事してねえだろ。お天道様の出ているうちに精一杯努力してりゃ夜の夜中、終電間際までベロベロに酔って愚痴などこぼさねえぞ。俺の前で愚痴るな」
 そう云ってやったのですが、その後酒の席に徐々に誘われなくなりました(笑)
 そうして、愚痴を云っていた人達の業績とか営業成績を見る限りわたしの話は聞き入れて貰えなかった様です。
 ネットも実社会も同じです。公の場で充実した毎日を過ごしていない人が、影に廻って他人を批評したり非難したり誹謗中傷したりするのだと思います。つまらない事で憂さを晴らす人は何をしても日の目を見ることはありません。もし世間の耳目を集めるとしたらそれは、そうした行いが法に触れた時なのだと思います。毎日が充実していれば他人のことをああだこうだと批判したり、不遇を託つこともない筈だ。
 自分に謙虚でない人間が他人に寛容で優しくなれる訳もない。
by U3 (2018-04-07 22:19) 

TOQ

批判をする事は簡単ですが、公の場では省みて自分は批判するに
値する人間か、と我が身を振り返ることが肝要なのだと思います。
昨今は個人の意見がすぐ公の場に出てしまう危うさがありますね。

記事へのご訪問とコメントを残して下さり、ありがとうございます
by TOQ (2018-04-08 15:13) 

U3

☆TOQさんへ
 赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎、現庁舎も含めて札幌を訪れた時の数々のエピソードを思い出しながら記事を拝見させて頂きました。
 横溝さんネタ結構懐かしかったでしょう(笑)
 貴ブログでコメントを返して頂き、更に拙ブログにもコメントを頂きありがとうございました。
by U3 (2018-04-08 17:03) 

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